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<八ッ手機織保存会>
行田明美さんのインタビュー

原村の八ッ手(やつで)区でぼろ機織り(裂織)や織物の展示販売会などを行なっている「八ッ手機織保存会」。今回は、その保存会に所属し、BOLOCOの裂織プロダクトにも協力いただいている行田明美(ぎょうだあけみ)さんの作業場を訪れました。

本当に生活に必要だった世代に教わった

––最初に行田さんがどのような作家さんなのか聞かせてください。

今の若い人たちみたいに「布」とか「織る」とか、そういうことが好きで、自分から「やりたいな」と思ってこの道に入ってきている人と、自分の立ち位置は違うと思っています。私の上の世代の人たちが「八ッ手機織保存会」を始めて、みんな生きていれば100歳くらいの年代で、つい最近その世代の最後の方が亡くなっちゃったんだけど——。

その人たちって「生活」のために織っていたわけじゃないですか。自分が着るため、家族に着せるため、売ってお金にするために。私たちはその人たちに教わった世代。そのこだわりはあるかもしれない。

行田明美 インタビュー

––生活のために織っていた世代を知っているんですね。

私の場合は、嫁にきた家に機織りがあって義母が織っていた。もう生活のために織る必要はない頃でしたけど。それで興味を持って始めたので、「好きだからやっている」ということに関しては若い人たちと同じなんだけどね。

保存会を立ち上げた世代の、その子供たちの世代は機織りをやっていないんです。なぜかっていうと、親が苦労して織っているのを見たり小さい頃に手伝わされたりして、「私は絶対に機織りなんてしたくない」って思った世代なんですね。働けばお金は手に入るし、必要なものは買えるようになった時代だから。

行田明美 インタビュー

––行田さんは親から子の継承ではなく、姑から嫁の継承だったんですね。

義母は「八ッ手機織保存会」の初期メンバーだった。私はそれまで機織りなんて現物では見たことがなかったですね。義母は家の中で織っていたんですが、私に子供が産まれてから義父が庭にこの小屋(隠居家、兼、機織り部屋)を建てたんです。糸とか布の繊維クズがすごく出るんですよ。赤ん坊がそんなものを吸ってはいけないと。

––結婚する前までは、何かをつくるということはありましたか。

ないですね。つくるものなんてないじゃない。普通の学生で何にも興味がなくて不器用だったらやらないよね。それから、嫁にきてすぐに織り始めたわけではなく、私が織り始めたのは歳を取ってからですね。自分の子供が育ち上がるまで、まともにこの小屋に入ったことすらない。私からすればここは義母の「城」だった。今は私の「巣」と言ってるけど。

行田明美 インタビュー
行田明美 インタビュー
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––それでは、機織りはどのようなきっかけがあって始めましたか?

義母がやっていた展示販売会を少し手伝ったりしたのがきっかけかな。織った布を使って小物をつくりたいって言うから、ミシンを使って縫うってことを私がやった。それから展示会にも行って手伝ったり。行くとみんなの作品を見れたし、話も聞けて。自分でも出来たら面白いなと思ったんでしょうね。

それでも当時は仕事をしていたから、暇になったらやろうかなくらいに思ってたんだけど、義母が倒れるっていう出来事がありまして。生きるか死ぬかくらいの騒ぎになり、幸い何の後遺症もなく無事に生活に戻ってきたんですが、これは教わる人がいなくなるかも、と思いまして。急いで義母に教わったんです。

行田明美 インタビュー

––習得は難しかったですか?

誰に聞かなくても自分が思うように織れるようになるのに3〜4年くらい。織り方は教わってしまえば、あとは自分で織るだけ。やりながらどうしても糸がやたら切れちゃうとか、ゆるみが出るとか、上手くいかないことが出てくる。そういう時は、義母に聞いたり、秋山鶴さん(保存会の初期メンバーで、八ッ手地域の機織りの中心のような存在)のところに行ったり。

話すと、「ああ、それはこういうやり方してるだろ。それがいけねえ。」ってすごかったですよ。原因がすぐ分かるんですね。最初はそのように義母と鶴さんに教わりました。

行田明美 インタビュー

あと、どうしても冬の間しかやらないので、教わった手順とか今日やったことは全部ノートに書いています。冬の最初にやるのはノートを見るところから。今でもノートはありますよ。

––最初に教わったことと、今の織り方では違うところはありますか?徐々に自分流になっていったとか。

ないですね。基本のところは義母から教わったことも、鶴さんから教わったことも、変える必要がない。そのうえで自分で工夫したことはありますよ。例えば糸の数え方も、正の字を書く人もいれば、私はホワイトボードにマグネットを使って数えるように工夫したり。基本は変わらないけど、人それぞれやり方は違うんだと思います。

行田明美 インタビュー

手仕事は独りでやるもの

––ほかの人のやり方は見たことありますか?

自分が織っている時は他の人も織っているし、その人を訪ねて行ったら作業からは離れておしゃべりってことになるので、「他人が織ってる様子」って見ないですね。この小屋に機織りを並べて義母と義姉と3人で作業したことはあるけど、狂うよね。その人のリズムがあるから。気が散っちゃうと自分の手元が狂っちゃう。

やっぱりてんでばらばら好き勝手やりたいんじゃないかな。誰かと競っているわけでもなんでもないから。他の人の「作品」を見るのは好きですけどね。ああ、この手があったか、なんて発見があったりして。

行田明美 インタビュー

––自分のペースで自分の好きなように織っていたいと。

織るのが楽しいし、それを好きでやっていますね。でも、その先を考える必要があるとも思っていて。自分が織ったものが次の世代の迷惑になるんですよね。上の世代が織った反物が相当数残っているけど、その使い道がない。もったいないとも思うし、裂織をエコとかSDGsに活かそうとか言うけど、活かせてないもんね。最終的にそこに行き着いちゃう。織るのが楽しいから織りました、で、そこで止まっちゃってる。

行田明美 インタビュー

織るのが好きで織っている人間って「独りよがり」なんだよね。自分のやりたい模様とか色使いとかで織るから。それを気に入って買ってくれたり、使ってくれる人がいるっていうのは別の話で。そもそも「手仕事」って、機織りであれ、編み物であれ、木彫りであれ、それをやっている時間が好き、やること自体が好きでやっているわけだから。ほら、仏像を彫るのが好きで何百体もつくりましたっておじさんとかいるけど、「分かる、分かる、つくるの楽しいよね」「でも、おじさん、彫った後のそれどうする?」って感じですね。

だからBOLOCOの仕事はいいですよ。いくら織ってもその後のことを気にしなくていいからね。

行田明美 インタビュー

究極の趣味

––今の時代だったら、目的なくやっていることって「意味がない」って言われそうですね。

昔の人だったらそれは生活のために必要なことだったけど、今の私たちは「趣味」でしかないからね。「織って、どうする」がずっとついてくる。でもそれを考えていたら何もできないから。「織りたいから、織っている」っていうことで、まあ仕方がないよねって話をしています。

行田明美 インタビュー

––伝統を継承していくことについては、どうお考えですか?

結局、それもやりたい人がやったらいい。次の人を育てるってことは、場所とか仕組みが必要なので。私はそこまでは考えていないです。自分が織ることが楽しい人間が、伝統を継承するとかって考える余裕があるわけがない。好きなものを好きなようにやっているだけ。「究極の趣味」だから。この文化が続いているのも、好きでやっている人が残っているっていうだけのことだと思う。もし、個人的に教えてくれって人がいれば、それは教えますよ。

行田明美 インタビュー
行田明美 インタビュー
行田明美 インタビュー

––現代の暮らしや時代をどう見ていますか?

新しい道具が出てきてラクができるかと思ったら逆にどんどん忙しくなっていったじゃない。私が勤めていたところでは、「あの時5人でやっていた量以上のことを今2人でやってるよね」っていうくらい。みなさん以上に私たちの時代はすごいスピードで加速していった。だからこそのこれ(機織り)だよ。役に立たないことをやりたいじゃん、人って。

––技術が加速しているから、むしろ、役に立たないことを。

効率を求める時代だからこそ、「やらなくていいこと」をやりたい。生活するための仕事ってつまらないものじゃないですか。そことは真逆の世界で居場所を見つけないと、息ができなくなっちゃうと思うよ。この巣(小屋)は私にとって「逃げ場」だったわけです。仕事をしながら土曜日の夜とか日曜日にこの小屋に入って機織りをやって、自分がだんだん上達していくのが楽しかった。その楽しさが今も続いている感じですね。

行田明美 インタビュー

––行田さんにとって「織ること」とは何でしょうか。

「逃げ場」ですね。誰だって生活していくって絶対について回るし、お金は必要だし、ただ学校に行ったり仕事に行ったりするのって、人によっては辛いと思うんだよね。みんなに自分の「逃げ場」が見つかるといいね。そんなに簡単に見つかるものでもないですけど。幸い、私は見つけることができたかな。だから伝統がどうのこうのではないんです。本当に個人的な問題なんです。これをやっているのは。

聞き手/内田将大
文/北原圭祐
写真/佐々木健太